2020-07-17 / 最終更新日時 : 2020-07-17 タオ 禅と書のつながり 「六つのみちを」道元は(4) 4.六道の衆生は一切衆生斉く父母の恩の如く『梵網経』に「一切の男子は、是れ我が父。一切の女人は是れ我が母なり。我、生々に、是れに従うて生を受けずということなし。故に、六道の衆生は、皆、我が父母なり」とある。 前回の訳:出 […]
2020-07-16 / 最終更新日時 : 2020-07-16 タオ 禅と書のつながり 「六つのみちを」道元は(3) 3. 父母の報恩のこと夜話の折に、懐奘禅師が質問します。父母に対する報恩のことなど、出家した者も、なすべきでしょうか。道元禅師が言われるには、 「出家は棄恩、入無為、無為の家の作法は、恩を一人に不限、一切衆生斉く父母の恩 […]
2020-07-15 / 最終更新日時 : 2020-07-13 タオ 禅と書のつながり 「六つのみちを」道元は(2) 2.苦しむ人々を救う 道元が六道について詠まれた歌があります。釈文:六つのみち をちこち 迷ふとも がらは わが父ぞ かし 母ぞ かし 地獄の業火に焼かれる男女。赤児の四 […]
2020-07-14 / 最終更新日時 : 2020-07-13 タオ 禅と書のつながり 「六つのみちを」道元は(1) 1.六つのみち「六つのみち」とは、仏教でいう地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の六つの世界です。人間衆生は煩悩にふりまわされ、かつ現世でおこなった所業のむくいを受け て、この六道に生死をくりかえすというが、天道 […]
2020-07-13 / 最終更新日時 : 2020-07-13 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(5) 5. 正法を伝えたい道元が移った地、越前の志比庄では当初、仮住まいの草庵でした。本格的な道場を建てて、「大仏寺」と名付け、「永平寺」と改名されました。 道元はここで、釈迦牟尼の仏教を継ぐ仏教者の育成に専念したのです。それ […]
2020-07-12 / 最終更新日時 : 2020-07-12 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(4) 4.山水経つづき 原文:「正法眼蔵 第二十九 山水経而今能山水盤古佛能道現成奈里 とも爾法位に従して、究盡能功徳を成せ里空劫己前能消息なるがゆへに而今の活計なり。朕兆未萌の自己な るがゆへに現成の透脱なり。山の諸功徳高廣 […]
2020-07-11 / 最終更新日時 : 2020-07-11 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(3) 3.道元自筆の山水経 ここに道元の真意が表されています。現代語訳をみますと、「いま、われわれの目の前にある山水は、古物の説法そのものにほかならない。古仏も山水も、ともにそれがいまある、そのあり方において真実を究め尽くして […]
2020-07-10 / 最終更新日時 : 2020-07-09 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(2) 2.やはり深山幽谷はよきかな 「尋ね入る深山の奥の里ぞもと わがすみなれし都なりける」 尋ねいる 美やまの おくの沙と處 毛登 わ可須三 那連しみ 夜こ奈里 け類 鎌倉 […]
2020-07-09 / 最終更新日時 : 2020-07-09 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(1) 1.尋ね入る 道元禅師が鎌倉で詠まれた歌です。そもそも、なぜ鎌倉へ道元は赴いたかというと、時の執権北条時頼の招聘でした。道元は四十四歳のとき、宇治から越前の志比庄、吉峰寺へ集 団で移住し、翌年大仏寺、のちに永平寺と改称し […]
2020-07-08 / 最終更新日時 : 2020-07-07 タオ 禅と書のつながり 道元の自然とは、和歌から(5) 5.横ものは継色紙を参考にして 「なつのよはまだよひながら あけにけり くものいづこに 月かくるらん」 「なつ能よ盤 ま多余飛那 閑良あ希爾 希梨 久毛のいづこ に月可倶 […]