2020-07-31 / 最終更新日時 : 2020-07-27 タオ 思慕の情 建礼門院右京大夫集-宮仕えの日々(3) 3.建礼門院のお母上母の家系、大神氏は笛で代々乗所(宮中で雅楽をつかさどる所)に仕えた伶人の家柄です。祖父基政は崇徳上皇時代の、 笛の名人でした。母は、夕霧、「ことひき」として著名で、詠歌のたしなみもありました。 建礼門 […]
2020-07-30 / 最終更新日時 : 2020-07-26 タオ 思慕の情 建礼門院右京大夫集-宮仕えの日々-(2) 2.建礼門右京大夫とは、つづき右京大夫は三蹟の一人として著名な藤原行成の六代の後えいにあたる世尊寺伊行を父とし、伶人大神基政の娘夕霧を母として平安時代の末期に生まれました。 世尊寺系家系は入木道(書道)の家柄として名高い […]
2020-07-29 / 最終更新日時 : 2020-07-26 タオ 思慕の情 建礼門院右京大夫集-宮仕えの日々-(1) 1.建礼門院右京大夫とは? 建礼門院右京大夫は平安末期に活躍した歌人です。愛する人を失い、数奇な人生を歩んだことは,他の女人たちと変わるところがありません。 亡き人を追って入水はせず、建礼門院のように仏門にも入りませんで […]
2020-07-28 / 最終更新日時 : 2020-07-23 タオ 禅と書のつながり 六祖慧能に寄せて道元は(5) 5.その後の六祖慧能は闇に、まぎれて出立した、六祖慧能は明上座が後を追いかけて大東嶺まで来たとき五祖の衣鉢を石の上に投げて言われた。 「この衣は伝法の証であり、力で争い奪い取るものではない。欲しければ持って行かれるがよい […]
2020-07-27 / 最終更新日時 : 2020-07-23 タオ 禅と書のつながり 六祖慧能に寄せて道元は(4) 4.継色紙より 継色紙の和歌を参考にして道元禅師の和歌を書きました。「あしひきの山した水のこがくれて たぎつつこころをせきぞかねつる」 「あし悲きの 山し多水能 こ可倶 連帝 多支つこゝろ […]
2020-07-26 / 最終更新日時 : 2020-07-23 タオ 禅と書のつながり 六祖慧能に寄せて道元は(3) 3.慧能、偈を詠む大衆が神秀の偈を読誦するのを聞いて、慧能が、「菩提本樹無し 明鏡亦た台に非ず 本来無一物 何れの処にか塵埃を惹かん」 という偈を作り掲げた。これを見た五祖は、慧能に衣鉢を付授し、『汝を第六代の祖と為す。 […]
2020-07-25 / 最終更新日時 : 2020-07-23 タオ 禅と書のつながり 六祖慧能に寄せて道元は(2) 2.六祖慧能とは「応無所住而生其心」を詠ずと題し、道元禅師が和歌を詠んでいます。まず、その背景を探っていきましょう。 ときは、中国禅宗の五祖弘忍(601〜674)が黄梅県の東馮母山(湖北省黄梅県双峰山の東山寺)にて禅風を […]
2020-07-24 / 最終更新日時 : 2020-07-23 タオ 禅と書のつながり 六祖慧能に寄せて道元は(1) 道元の和歌『水鳥の・・・』 釈文:「水鳥の行くも帰るも跡たえて されども路はわすれざりけり」 選字: みつ度りの 行く无 閑へる裳あ と多盈 弖 され登 […]
2020-07-23 / 最終更新日時 : 2020-07-20 タオ 禅と書のつながり スピードが大事、道元歌(5) 5.散らし書きは、流れるように 「あしひきの山した水のこがくれて たぎつつこゝろをせきぞかねつる」 「あし悲きの 山し多水能 こ可倶 連帝 多支つこゝろ 乎勢き ぞ可年 都累」 一行目の始 […]
2020-07-22 / 最終更新日時 : 2020-07-20 タオ 禅と書のつながり スピードが大事、道元歌(4) 4. 再び道元の和歌を見る もう一度、道元の歌を見てみると、「無常迅速」がひしひしと伝わってきます。この言葉は、坐禅の最後に僧侶が終わりを告げる前に必ず読誦されます。 人は、生きている時にはその実感がわかず、死が迫ろうと […]