2020-07-13 / 最終更新日時 : 2020-07-13 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(5) 5. 正法を伝えたい道元が移った地、越前の志比庄では当初、仮住まいの草庵でした。本格的な道場を建てて、「大仏寺」と名付け、「永平寺」と改名されました。 道元はここで、釈迦牟尼の仏教を継ぐ仏教者の育成に専念したのです。それ […]
2020-07-12 / 最終更新日時 : 2020-07-12 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(4) 4.山水経つづき 原文:「正法眼蔵 第二十九 山水経而今能山水盤古佛能道現成奈里 とも爾法位に従して、究盡能功徳を成せ里空劫己前能消息なるがゆへに而今の活計なり。朕兆未萌の自己な るがゆへに現成の透脱なり。山の諸功徳高廣 […]
2020-07-11 / 最終更新日時 : 2020-07-11 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(3) 3.道元自筆の山水経 ここに道元の真意が表されています。現代語訳をみますと、「いま、われわれの目の前にある山水は、古物の説法そのものにほかならない。古仏も山水も、ともにそれがいまある、そのあり方において真実を究め尽くして […]
2020-07-10 / 最終更新日時 : 2020-07-09 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(2) 2.やはり深山幽谷はよきかな 「尋ね入る深山の奥の里ぞもと わがすみなれし都なりける」 尋ねいる 美やまの おくの沙と處 毛登 わ可須三 那連しみ 夜こ奈里 け類 鎌倉 […]
2020-07-09 / 最終更新日時 : 2020-07-09 タオ 禅と書のつながり 鎌倉にて道元が詠む(1) 1.尋ね入る 道元禅師が鎌倉で詠まれた歌です。そもそも、なぜ鎌倉へ道元は赴いたかというと、時の執権北条時頼の招聘でした。道元は四十四歳のとき、宇治から越前の志比庄、吉峰寺へ集 団で移住し、翌年大仏寺、のちに永平寺と改称し […]
2020-07-08 / 最終更新日時 : 2020-07-07 タオ 禅と書のつながり 道元の自然とは、和歌から(5) 5.横ものは継色紙を参考にして 「なつのよはまだよひながら あけにけり くものいづこに 月かくるらん」 「なつ能よ盤 ま多余飛那 閑良あ希爾 希梨 久毛のいづこ に月可倶 […]
2020-07-07 / 最終更新日時 : 2020-07-07 タオ 禅と書のつながり 道元の自然とは、和歌から(4) 4.誰が悟ったのか? 再び、道元禅師の和歌をみましょう。「峰のいろ」は「山色」につながります。「谷のひびき」は「谿声」と重なります。「わが釈迦牟尼」は「八万四千偈」に通じるものがあります。 全てがありのままに現前している […]
2020-07-06 / 最終更新日時 : 2020-07-06 タオ 禅と書のつながり 道元の自然とは、和歌から(3) 3.悟りの瞬間「阿耨菩提に伝道受業の仏祖おほし。」現代語訳:最高の知恵の授受については、仏祖の先例が多い。 そして、宗祖の達磨大師を例にとり、臂を断ち参じた二祖慧可に学ぶがよいと述べています。それぞれに、古い殻を破るには […]
2020-07-05 / 最終更新日時 : 2020-07-05 タオ 禅と書のつながり 道元の自然とは、和歌から(2) 2.東坡居士の偈 ここで、道元禅師の歌のきっかけとなったのではないかと思われる東坡居士の漢詩を「正法眼蔵」からご紹介します。「正法眼蔵 谿聲山色」の巻が制作され、示されたのは、延応二年(1240)の夏安居が始まった時、興 […]
2020-07-04 / 最終更新日時 : 2020-07-04 タオ 禅と書のつながり 道元の自然とは、和歌から(1) 1.峰のいろ 釈文:峰のいろ谷のひびきも皆ながら わが釈迦牟尼の声と姿と 選字: 峰のいろ 多に農飛日 幾も三那な から わ可釈迦牟尼の 聲と寸可太 登 この […]