2020-05-26 / 最終更新日時 : 2020-05-25 タオ 漂泊の想い 能因や西行への憧憬「奥の細道」(1) 1.雨も又、奇なり 六月十五日芭蕉と曽良は酒田から象潟は出発した。釈文:江山水陸の風光、数を尽して、今、象潟に方寸を責む。 坂田の港より、東北の方、山を越え磯をつたひ、いさごを踏て、 其際十里、日影やゝかたぶく比 […]
2020-05-25 / 最終更新日時 : 2020-05-25 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(5) 5.「さみだれ」はどのように書かれていたか 上記は西行の和歌を集めた自撰集です。西行の自筆と伝えられているものの、定かではありません。ただ、軽快でリズミカルな運筆が心地よい歌集です。 釈文:「さみだれのはれまもみえぬくも […]
2020-05-24 / 最終更新日時 : 2020-05-24 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(4) 4. 義経伝説と歌枕「最上川」は日本三急流の一つで、歌枕としても知られています。古今和歌集の東歌、陸奥歌の中に 「最上川のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり」 歌意は:最上川を上り下りする稲舟、その「いな」( […]
2020-05-23 / 最終更新日時 : 2020-05-23 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(3) 3. なぜ「すゞし」が「早し」に? 上記の紀行文の最後で芭蕉は「早し」と詠んでいます。その経緯を見ていきましょう。釈文:「最上川はみちのくより出て山形を 水上とすごてんはやぶさなと云お そろしき難所有板敷山の […]
2020-05-22 / 最終更新日時 : 2020-05-22 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(2) 2. 俳諧の歌仙とは現在、テレビなどでもおなじみの「俳句」といえば、季語がある、五・七・五の型式でしょう。ただ、こう呼ばれるようになったのは明治時代から正岡子規たちによって定着したものです。 これに対して「俳諧」は連句を […]
2020-05-21 / 最終更新日時 : 2020-05-21 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(1) 1. 「さみだれをあつめてすゞし?もがみ川」 「もかみ川乗らんと大石田と云処に 日和を待爰に古き俳諧のたね 落こほれてわすれぬ花のむかしを したひ芦角一声の心をやはらけ此 道にさくりあしして新古ふた道に ふみまよふとい […]
2020-05-20 / 最終更新日時 : 2020-05-20 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(5) 5.新しい風藤原俊成は、歌論書『古来風対抄』の中で、幽玄体を概ね理想とし、「艶」「あはれ」などの複合美で哀愁感や、寂寥感を基調とした耽美的境地としています。中世文芸へ大きな影響を与えました。 「余情」とは一首の和歌におい […]
2020-05-19 / 最終更新日時 : 2020-05-19 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(4) 4.西行歌「心なき・・・」の幽玄 宗房は、ことば遊びが特徴の「貞門風」から自由で軽妙な「談林風」へ移りましたが、ここからも離れ、自ら芭蕉庵と名付け、芭蕉と号します。そして、「風狂性」を特徴とする新たな俳諧を作り、蕉風俳諧 […]
2020-05-18 / 最終更新日時 : 2020-05-18 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(3) 3.宗房が談林俳諧に出会う寛文六年(1666)、主君であり俳諧の師であった蝉吟が二十五歳で病没しました。これを機に、宗房は藤堂家を辞し、江戸へ向かいます。 ここで、宗房は談林俳諧の中心的人物、宗因と出会い、「桃青」と号し […]
2020-05-17 / 最終更新日時 : 2020-05-17 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(2) 2. 芭蕉の生い立ち寛永二十一年(1644)伊賀国上野に生まれ、幼名は金作、長じて松尾忠右衛門宗房。十三歳で父を亡くした宗房は、伊賀上野に支城があった藤堂新七郎良精に召抱えられます。近習役として仕えた、子息良忠は二歳年上 […]