俳諧と俳句「さみだれを」から(3)

3. なぜ「すゞし」が「早し」に?

芭蕉日筆 奥の細道  岩波書店   祥香臨

上記の紀行文の最後で芭蕉は「早し」と詠んでいます。その経緯を見ていきましょう。
釈文:「最上川はみちのくより出て山形を
    水上とすごてんはやぶさなと云お
    そろしき難所有板敷山の北を
   
    流て果は酒田の海に入左右山
    おほひ茂みの中に舟を下ス
    これをいなふねと云白糸の滝は青葉
    
    の隙々に落て仙人堂岸に臨て立
    水みなきつて舟あやうし

    さみたれをあつめて早し最上川」*①

「さみだれを」の歌仙では、大石田の高野一栄の厚意に対して挨拶の意で、「さみだれをあつめてすゞしもがみ川」と詠みました。ところが、実際に現地で舟に乗ってみると、想像以上に急流の最上川でありました。

そこで芭蕉は、奥の細道では「すゞし」から「早し」に改めたわけです。この経緯や背景を知らずに詠むと、芭蕉は推敲を重ねて句を練り上げたと考えてしまいます。

でも実際には、その場に応じた句をその時によって詠んだものであり、これこそが江戸時代の芭蕉俳諧が重んじる変化に通ずるものです。私たちは、連句によってつつながりを持った「歌仙」の句と、名句として親しまれている句が、時代の特徴を有していたのでしょう。

             *出典:① 芭蕉自筆 奥の細道  岩波書店
             参考文献:墨 234号 伊藤善隆