高倉院崩御の知らせを聞いて(3)建礼門院右京大夫集を書く

3.末の世に

建礼門院右京大夫集 祥香書

高倉院がお隠れになったことが悲しくて、末法の世にご立派だったと追想します。
詞書:「限りなくかなしく、『なにごともげに末の世にあまりたる御事にや』
    と人の申すにも」

選字は、「限り奈久可那し九
     な爾故と毛希二末の世耳阿ま里た
     流御事爾やと人農申春に毛」

鑑賞:「末の世」とは末法の思想による言葉です。末法思想とは釈迦入滅後、教え
   を実行し証りうる者が時間の経過とともに少なくなり、仏法が衰滅するいう
   思想です。

   当初はインド方面で正法は500年(1000年)で滅し偽の仏法である像法が
   1000年または500年行われるという説が出されます。中国に入るとさらに
   末法法滅思想が大成されます。天台の慧思が『立誓願文』に末法万年説を出
   しました。

   日本においても、天台の祖最澄の『正像末文』などに末法思想が見られま
   す。特に平安時代中末期から鎌倉期に多大な影響を与えた、源信の『往生
   要集』や法然の『選択集』などがあります。

 参考文献:日本大百科全書