2020-05-31 / 最終更新日時 : 2020-05-31 タオ 禅と書のつながり 良寛さんの書「天上大風」(1) 良寛さんが凧に書いた? 良寛(1758〜1831)は江戸時代後期の禅僧、歌人です。越後國出雲崎の生まれで、諸国行脚の後、帰郷して国上山の五合庵などに住み、村の童子たちと親しくしました。号は、大愚、脱俗生活を送り、書、漢詩 […]
2020-05-30 / 最終更新日時 : 2020-05-30 タオ 漂泊の想い 能因や西行への憧憬「奥の細道」(5) 5. 芭蕉の俳諧に対する考え 釈文:「うしなふ事なかれ。猶古 人の跡をもとめず、古人の求 めたる所をもとめよと、南山 大師の筆の道にも見えたり」*① 芭蕉は、弟子の許六に贈った離別の手紙の中で、空海(諡 […]
2020-05-29 / 最終更新日時 : 2020-05-29 タオ 漂泊の想い 能因や西行への憧憬「奥の細道」(4) 4. 根底には蘇東坡の詩 「奥の細道」の象潟行で「雨も又奇」と書いた芭蕉の脳裏には、上記の蘇東坡の漢詩があったと思われます。 「飲湖上初晴後雨」 水光瀲灔晴方好 山色空濛雨亦奇 欲把西湖比西子 淡 […]
2020-05-28 / 最終更新日時 : 2020-05-28 タオ 漂泊の想い 能因や西行への憧憬「奥の細道」(3) 3.象潟はうらむがごとし 芭蕉は蘇東坡の漢詩を思い起こし、句を詠みます。釈文「江上に御陵あり。神功后宮の御墓と云。寺を干満珠寺と云。この処に御幸ありし事、いまだきかず。いかなる故ある事にや。 此寺の方丈に坐して、簾を捲け […]
2020-05-27 / 最終更新日時 : 2020-05-25 タオ 漂泊の想い 能因や西行への憧憬「奥の細道」(2) 2.能因島へ 芭蕉は能因島を訪れますが、その地に三年幽居したといわれる能因とは、いかなる人物だったのしょうか。能因法師は永延二年(988)生まれと推定され、藤原長能に師事し、和歌を学び奥州に二度行脚をしています。 これま […]
2020-05-26 / 最終更新日時 : 2020-05-25 タオ 漂泊の想い 能因や西行への憧憬「奥の細道」(1) 1.雨も又、奇なり 六月十五日芭蕉と曽良は酒田から象潟は出発した。釈文:江山水陸の風光、数を尽して、今、象潟に方寸を責む。 坂田の港より、東北の方、山を越え磯をつたひ、いさごを踏て、 其際十里、日影やゝかたぶく比 […]
2020-05-25 / 最終更新日時 : 2020-05-25 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(5) 5.「さみだれ」はどのように書かれていたか 上記は西行の和歌を集めた自撰集です。西行の自筆と伝えられているものの、定かではありません。ただ、軽快でリズミカルな運筆が心地よい歌集です。 釈文:「さみだれのはれまもみえぬくも […]
2020-05-24 / 最終更新日時 : 2020-05-24 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(4) 4. 義経伝説と歌枕「最上川」は日本三急流の一つで、歌枕としても知られています。古今和歌集の東歌、陸奥歌の中に 「最上川のぼればくだる稲舟のいなにはあらずこの月ばかり」 歌意は:最上川を上り下りする稲舟、その「いな」( […]
2020-05-23 / 最終更新日時 : 2020-05-23 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(3) 3. なぜ「すゞし」が「早し」に? 上記の紀行文の最後で芭蕉は「早し」と詠んでいます。その経緯を見ていきましょう。釈文:「最上川はみちのくより出て山形を 水上とすごてんはやぶさなと云お そろしき難所有板敷山の […]
2020-05-22 / 最終更新日時 : 2020-05-22 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(2) 2. 俳諧の歌仙とは現在、テレビなどでもおなじみの「俳句」といえば、季語がある、五・七・五の型式でしょう。ただ、こう呼ばれるようになったのは明治時代から正岡子規たちによって定着したものです。 これに対して「俳諧」は連句を […]