こんな時こそ「愛語」(3)

3. 「正法眼蔵」を著した道元禅師のこと
道元は、正治二年(1200)に生まれました。以前は父を源通親、母を伊子(松殿基房の娘)とする説もあります。しかし近年の研究では、大納言になられた堀川(源)通具公(1171〜1227)とを父とし、母は不詳ということです。

母を八歳の時に亡くされ、このとき喪儀で立ち上る香煙をみて仏道への志を立てられました。十三歳の春に親戚、良顕法眼を訪ね、翌年出家し比叡山で修行をされました。

道元は、悟りと修行についての根本的な問いを立てられましたが、正しい道理を説いてくれる師匠(正師)に会うことができません。二十四歳の時、指導を受けていた明全和尚(1184〜1225、栄西禅師の弟子)と共に中国に渡ります。

天童山景徳寺の住職、如浄禅師(1162〜1227)の下でひたすら座禅修行されました。ある夜明け前の座禅中に隣で居眠りをしていた僧に言われた「参禅は身心脱落なり」に導かれるように、大悟徹底されたと伝わります。

その後、二十八歳の時に帰国され、京都市に興聖寺を開きましたが、約十年後に現在の福井県に永平寺と改称し、移転しました。

後進の指導を熱心に行い、「正法眼蔵」(百巻)を始め、「普勧坐禅儀」「学道用心集」など、仏道を学ぶものにとっての教科書というべき内容となっています。*①

良寛が読まれた「正法眼蔵」はこうして著されたものでした。良寛は、九十五巻の巻目
全てを書き、良寛維宝堂の貼交ぜ屏風中に、四紙にわたって書かれています。*②

お一人で修行されることが多かったと思われる良寛にとって、「正法眼蔵」は大変貴重な御本だったのでしょう。次回は、修行の心構えについてみていきます。

              *出典:① 禅の友 2020年1月号
                  ② 正法眼蔵 道元 ひろさちや