2022-08-17 / 最終更新日時 : 2022-08-14 タオ 思慕の情 資盛亡き後、悲嘆に暮れながらも(3)建礼門院右京大夫集を書いて 3.それでも現に生きている私は 悲しみに暮れながらも、少しずつ現実に目を向け始める作者は、 「さても、げにながらふる世のならひ心憂く、明けぬくれぬとしつつ、さすがに 現し心もまじり、」 選字は、「さ傳毛希爾ならふ流世の […]
2022-08-16 / 最終更新日時 : 2022-08-14 タオ 思慕の情 資盛亡き後、悲嘆に暮れながらも(2)建礼門院右京大夫集を書いて 2.月並みの言葉では お気の毒でしたね、とありふれた言葉に思われた人へ詠んだ歌が、「かなしとも またあはれとも 世のつねに いふべきことに あらばこそあらめ」 選字は、「か那しと裳ま多阿者連とも夜の 徒年二い布遍 […]
2022-08-15 / 最終更新日時 : 2022-08-14 タオ 思慕の情 資盛亡き後、悲嘆に暮れながらも(1)建礼門院右京大夫集を書いて 1.通り一遍の言葉では しばらくして、作者の元へお悔やみの言葉が寄せられましたが、 「ほどへて、人のもとより、『さてもこのあはれ、いかばかりか』と いひたれば、なべてのことのやうにおぼえて」 選字は、「ほと遍て人農もとよ […]
2022-08-14 / 最終更新日時 : 2022-08-13 タオ 琴線にふれる 韓鵬に寄す(5)七言絶句を臨書する 5.近くに姑射の山が 「羨爾城頭姑射山」 書き下し文は、「羨む 爾(なんじ)が城頭 姑射の山」 解説:「城頭」 町の近く。 「姑射山」 別名貘姑射山。山西省平陽にある山、仙人が住むと いわれます。『荘子』逍遥遊篇 […]
2022-08-13 / 最終更新日時 : 2022-08-13 タオ 琴線にふれる 韓鵬に寄す(4)七言絶句を臨書する 4.賢明な人へ 「寄書河上神明宰」 書き下し文は、「書を寄す 河上 神明(しんめい)の宰」 解説:「河上」は黄河のほとり。韓鵬の任地を指すが、「河上公」にも かけています。 漢の文帝の時に黄 […]
2022-08-12 / 最終更新日時 : 2022-08-11 タオ 琴線にふれる 韓鵬に寄す(3)七言絶句を臨書する 3.朝の鳥が 「政を行うのに、心中穏やかであれば、全てが自然に治まっていく」と起句で謳い、承句では、「朝看飛鳥暮飛還」 書き下し文は、「朝(あした)に看(み)る飛鳥 暮れに飛び還る」 現代語にすると、「朝、飛んで行った鳥 […]
2022-08-11 / 最終更新日時 : 2022-08-11 タオ 琴線にふれる 韓鵬に寄す(2)七言絶句を臨書する 2.筆者は誰か 筆者は陳鴻寿(1768〜1822)で清、浙江省銭塘の人。字は子恭、号は曼生。西冷八家の一人で詩文書画篆刻をよくしました。 西冷八家とは、「西冷四家とやや後の陳鴻寿、銭松、陳予鐘、趙之深を加えた八名を言う。 […]
2022-08-10 / 最終更新日時 : 2022-08-10 タオ 琴線にふれる 韓鵬に寄す(政治を行うのに)(1)七言絶句を臨書する 1.政を行うのに 李頎(りき)作の七言絶句は「寄韓鵬」と題されて、政を心穏やかに行なっている「君」を称えています。 題の「寄韓鵬」は遠くにいる韓鵬に手紙を送るの意味です。「韓鵬」は山西省臨分県付近の県令を務めたようですが […]
2022-08-09 / 最終更新日時 : 2022-08-09 タオ 和歌を味わう 斎藤茂吉の和歌を書く(3)「赤光」から 3.赤光の作風は 「赤光」の中でこの歌はどのような位置づけなのでしょうか。岩波文庫の解説によれば、「大正元年、二年と『赤光』の歌境はいよいよ鮮明に強烈に多方面に展開するが、その感覚的なものも 情緒的なものも、すべて真実の […]
2022-08-08 / 最終更新日時 : 2022-08-08 タオ 和歌を味わう 斎藤茂吉の和歌を書く(2)「赤光」から 2.「赤光」とは 「赤光」とは、斎藤茂吉の第一歌集で、明治三十八年(1905)茂吉が24歳で作歌を始めた時から、大正二年(1913)32歳までを収めています。 茂吉は山形県に生まれましたが、少年期に医師斎藤紀一の養子とな […]