2020-05-16 / 最終更新日時 : 2020-05-16 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(1) 1.閑さや岩にしみいる蝉の聲 当初、予定になかった立石寺の参詣は、尾花沢の俳人鈴木清風たちの勧めで実現しました。宝珠山立石寺は、貞観二年(860)清和天皇の勅願により慈覚大師(円仁の諡号)が開山した天台宗の古刹です。清和 […]
2020-05-15 / 最終更新日時 : 2020-05-15 タオ 漂泊の想い 芭蕉の俳諧はどう展開したか(5) 5.古典にみる夏・なつ 芭蕉の句「夏艸や兵共可夢の跡」を書の筆法や選字の観点からみていきます。まず、「夏」ですが、上記の関戸本古今集に後ろから五行目、「夏夜」に漢字の行書による「なつ」がみられます。一方、最後から二行目の […]
2020-05-14 / 最終更新日時 : 2020-05-14 タオ 漂泊の想い 芭蕉の俳諧はどう展開したか(4) 4 芭蕉の風流とは風流を芭蕉はどのようにとらえていたか、を考えます。旅先での体験が、杜甫の「春望」を思い起こさせ、「不易流行」の説にいったことがわかってきました。そして、「不易流行」は「風流」にどのようにつながるのでしょ […]
2020-05-13 / 最終更新日時 : 2020-05-13 タオ 漂泊の想い 芭蕉の俳諧はどう展開したか(3) 3.夏の艸はどのように書かれていたか 山家心中集は、西行の筆と伝えられていますが、巻言の内題と、続く部立の題などの部分は藤原俊成の筆跡と言われています。西行の自筆とは認められていません。おそらく側近の子女達が分担して書写 […]
2020-05-12 / 最終更新日時 : 2020-05-10 タオ 漂泊の想い 芭蕉の俳諧はどう展開したか(2) 2.國破れて山河あり芭蕉は、平泉で杜甫の春望を思い、「夏草や」の句を詠みました。春望「國破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心 烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 揮欲不勝簪」*① 戦乱のために都長 […]
2020-05-11 / 最終更新日時 : 2020-05-10 タオ 漂泊の想い 芭蕉の俳諧はどう展開したか(1) 1,「夏草や兵共が夢の跡」 最後の行の「夏艸や兵共可 夢乃跡」元禄二年高館での吟です。杜甫の春望の「國破山河在 城春草木深」の詩句を思い、栄枯盛衰の感懐を詠みました。有志達の功名も一時の夢となり夏草だけが生い繁っています […]
2020-05-10 / 最終更新日時 : 2020-05-10 タオ 漂泊の想い 芭蕉、西行の和歌を歌枕とする(5) 5.芭蕉の「田一枚・・・」を書いてみる 芭蕉が「田一枚植て立去ル 柳かな」と「奥の細道」の中で自筆で書いていました。こちらを上は 「田一枚 植氐多ち沙る やなぎ哉」と半紙に書いています。 句 […]
2020-05-09 / 最終更新日時 : 2020-05-09 タオ 漂泊の想い 芭蕉、西行の和歌を歌枕とする(4) 4. 「遊行柳」とは西行の「道のべの清水流るゝ」の和歌をもとにして「遊行柳」の謡曲が観世信光によって作られました。そして、芭蕉が「田一枚植て立去柳かな」と詠みました。 その「遊行柳」とは、遊行上人一行が一遍上人の教えを広 […]
2020-05-08 / 最終更新日時 : 2020-05-08 タオ 漂泊の想い 芭蕉、西行の和歌を歌枕とする(3) 3. 柳の陰は涼しくて芭蕉の句が、西行の和歌「道のべの清水流るゝ柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」を本歌として詠まれています。西行の歌意は「道の端に、清水の湧き流れるこの大きな柳の樹陰、ほんのしばらく、汗の乾く間のつもり […]
2020-05-07 / 最終更新日時 : 2020-05-07 タオ 漂泊の想い 芭蕉、西行の和歌を歌枕とする(2) 2.西行の和歌を読む 今回は、「道のべの清水流るゝ柳陰」の歌がどのように書かれていたかを探るべく、伝西行の和歌をみていきます。 上記の「山家心中集」は、西行(1118〜90)が晩年に、自詠の三百六十首と贈答の他人歌十四首 […]