芭蕉、西行の和歌を歌枕とする(4)

4. 「遊行柳」とは
西行の「道のべの清水流るゝ」の和歌をもとにして「遊行柳」の謡曲が観世信光によって作られました。そして、芭蕉が「田一枚植て立去柳かな」と詠みました。

その「遊行柳」とは、
遊行上人一行が一遍上人の教えを広めるため、諸国を修行、説法のため巡り歩いて陸奥国
白河関にやって来ます。そこに一人の老人が現れ、「朽木柳」に案内し、昔西行が、この柳のもとで歌を詠んだ故事を語ります。

一行が念仏を唱えると、華やかなりし過去への執心、断ちがたい身であったが、有難い仏の教えに出会い、その功徳のおかげで成仏できるといって立ち去っていきます。*①

また、この「遊行柳」は俳人の与謝蕪村にも影響を与えています。
   「柳散清水涸石処々」
    釈文:柳ちり清水かれ石ところどころ
そして、前書に「神無月はじめの頃ほひ下野の国に執行して遊行柳とかいへる古木の影に
目前の景色を申出はべる」*② とあります。

様々な芸能や文芸にインスピレーションを及ぼしてきた、西行の和歌と芭蕉の句には、
共に漂白の旅を続けてきた道程があり、人の心に情感を呼び起こすのでしょう。

         *出典:① 「和歌の解釈と鑑賞事典」 井上宗雄・武川忠一編
             ②「墨場辞典」 飯島春敬編

芭蕉自筆 奥の細道  岩波書店   祥香臨