芭蕉の俳諧はどう展開したか(3)

3.夏の艸はどのように書かれていたか

山家心中集  伝西行  二玄社   祥香臨

山家心中集は、西行の筆と伝えられていますが、巻言の内題と、続く部立の題などの部分は藤原俊成の筆跡と言われています。西行の自筆とは認められていません。おそらく側近の子女達が分担して書写したものと推定されています。(小松茂美博士『古筆学大成』)

さて、上記の文ですが、切れ味の良くリズミカルに書かれています。
釈文:「いづみにむかひて月おみるといふ
    事お

  むすぶてにすゞしきかげおそふる
   かなしみつにやどるなつのよの月

   なつのくさを

  みまくさにはらのすすきをしか
  ふとてふしどあせぬとしかおもふらむ」
  
ここでは、「夏の草」を見ていますが、中程の「奈川能久さ」と割合と平明な仮名を用いています。三行目の「なつの」では、「奈川能」とこちらも現代でもそのまま読めそうな
選字となっています。

和歌の中に入れる場合、変体かなを用いて流れを出しています。漢字を選ぶときは、当時柔らかく和様漢字を書くことが見られました。現代では、大字など紙面が大きくなってきたので、力強さを出したり、構成上の効果のために漢字を用いることがみられるようになりました。

芭蕉は、「夏艸や」と漢字を用いたことで、夏の光景を眼前に展開することに成功したと言えるのではないでしょうか。