資盛がかつて蔵人頭だった時に(1)建礼門院右京大夫集を書いて

1.ある人は訴訟を

釈文:「人の愁へ申ししことのあるを、さるべき人の申し沙汰するを聞けば 『後白河院の御時、おほせくだされける』などとて、」

選字は「人農愁へ申しヽこ度のあ流をさる 邊支人の申志沙汰春る越き希八御白 河院の御時おほ世久ださ連介類奈とヽ 弖」

鑑賞:「人の愁へ」ある人が訴えを申し立てたこと。「後白河院」は第七十七代天皇。「御時」世の中を統治されていた時。

大意は「ある人が訴訟を申し立てたとき、その色にある人が審理し対処するのを聞くと、『後白河院の統治されている時にこのようにご下命されたのだ。』などと」

参考文献:建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社