2020-05-21 / 最終更新日時 : 2020-05-21 タオ 漂泊の想い 俳諧と俳句「さみだれを」から(1) 1. 「さみだれをあつめてすゞし?もがみ川」 「もかみ川乗らんと大石田と云処に 日和を待爰に古き俳諧のたね 落こほれてわすれぬ花のむかしを したひ芦角一声の心をやはらけ此 道にさくりあしして新古ふた道に ふみまよふとい […]
2020-05-20 / 最終更新日時 : 2020-05-20 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(5) 5.新しい風藤原俊成は、歌論書『古来風対抄』の中で、幽玄体を概ね理想とし、「艶」「あはれ」などの複合美で哀愁感や、寂寥感を基調とした耽美的境地としています。中世文芸へ大きな影響を与えました。 「余情」とは一首の和歌におい […]
2020-05-19 / 最終更新日時 : 2020-05-19 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(4) 4.西行歌「心なき・・・」の幽玄 宗房は、ことば遊びが特徴の「貞門風」から自由で軽妙な「談林風」へ移りましたが、ここからも離れ、自ら芭蕉庵と名付け、芭蕉と号します。そして、「風狂性」を特徴とする新たな俳諧を作り、蕉風俳諧 […]
2020-05-18 / 最終更新日時 : 2020-05-18 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(3) 3.宗房が談林俳諧に出会う寛文六年(1666)、主君であり俳諧の師であった蝉吟が二十五歳で病没しました。これを機に、宗房は藤堂家を辞し、江戸へ向かいます。 ここで、宗房は談林俳諧の中心的人物、宗因と出会い、「桃青」と号し […]
2020-05-17 / 最終更新日時 : 2020-05-17 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(2) 2. 芭蕉の生い立ち寛永二十一年(1644)伊賀国上野に生まれ、幼名は金作、長じて松尾忠右衛門宗房。十三歳で父を亡くした宗房は、伊賀上野に支城があった藤堂新七郎良精に召抱えられます。近習役として仕えた、子息良忠は二歳年上 […]
2020-05-16 / 最終更新日時 : 2020-05-16 タオ 漂泊の想い 「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(1) 1.閑さや岩にしみいる蝉の聲 当初、予定になかった立石寺の参詣は、尾花沢の俳人鈴木清風たちの勧めで実現しました。宝珠山立石寺は、貞観二年(860)清和天皇の勅願により慈覚大師(円仁の諡号)が開山した天台宗の古刹です。清和 […]
2020-05-15 / 最終更新日時 : 2020-05-15 タオ 漂泊の想い 芭蕉の俳諧はどう展開したか(5) 5.古典にみる夏・なつ 芭蕉の句「夏艸や兵共可夢の跡」を書の筆法や選字の観点からみていきます。まず、「夏」ですが、上記の関戸本古今集に後ろから五行目、「夏夜」に漢字の行書による「なつ」がみられます。一方、最後から二行目の […]
2020-05-14 / 最終更新日時 : 2020-05-14 タオ 漂泊の想い 芭蕉の俳諧はどう展開したか(4) 4 芭蕉の風流とは風流を芭蕉はどのようにとらえていたか、を考えます。旅先での体験が、杜甫の「春望」を思い起こさせ、「不易流行」の説にいったことがわかってきました。そして、「不易流行」は「風流」にどのようにつながるのでしょ […]
2020-05-13 / 最終更新日時 : 2020-05-13 タオ 漂泊の想い 芭蕉の俳諧はどう展開したか(3) 3.夏の艸はどのように書かれていたか 山家心中集は、西行の筆と伝えられていますが、巻言の内題と、続く部立の題などの部分は藤原俊成の筆跡と言われています。西行の自筆とは認められていません。おそらく側近の子女達が分担して書写 […]
2020-05-12 / 最終更新日時 : 2020-05-10 タオ 漂泊の想い 芭蕉の俳諧はどう展開したか(2) 2.國破れて山河あり芭蕉は、平泉で杜甫の春望を思い、「夏草や」の句を詠みました。春望「國破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心 烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 揮欲不勝簪」*① 戦乱のために都長 […]