芭蕉自筆、奥に細道を読み書こう(4)

4.鳥啼き 魚の目は泪

中務集 伝西行  出光美術館蔵   二玄社    祥香臨

芭蕉は、「鳥啼き」と書いていますが、前出の「中務集」ではどうでしょう。
釈文:「山里のほと〃ぎすなく
   山里にまれになきけるほと
   とぎすまたともなかぬこゑを
   きくかな」               出典:同上

上記のように「なく」はいずれも、「奈く」と表されています。現代では、「鳴く」と
表示することが多いと思います。「『啼』には涙を流し声をあげてなく字義があり、鳥・虫や獣がなく例として、[唐の杜牧、江南春詩] 千里鴬啼緑映紅・・・」*①があります。

前回の「行春」においても漢詩の香りがしていましたが、今回の「鳥啼」もまた漢詩的
な書き方といえます。そして、かなの送り仮名が両者とも無く、そのままでは訓読みか
音読みかが分かりづらい点もあげられます。

漢字を用いることによって、表現する世界をあえて限定しているのではないか、と考えます。そして、それによって芭蕉の見ている世界を俳諧の連衆と間違いなく共有したいという思いがあったのではないでしょうか。

芭蕉の芸術について中沢新一氏は、「言葉の機構の中で、圧縮とか重ね合わせがおこなわれて、比喩が働きだすことをできるだけなくして(比喩が働きだすと、例の「圧縮の効果」が作動してしまうからである)言葉と現実とが、あいだに想像的な媒介物をなにもいれることなく、裸の状態で、行ったり来たりを実現する、そういう言葉の新しい機構を作り出そうとした。」*②

芭蕉の芸術論まで論じられる、壮大なテーマになってきましたので、次回に譲りたいと思います。
               出典:*① 「新漢語林」大修館書店
                  *② 中沢新一「松尾芭蕉-人間の底を踏み抜く」