芭蕉自筆、奥の細道を読み書こう(3)

3. 粘葉本和漢朗詠集に見る「行く春や」

粘葉本和漢朗詠集  伝藤原行成  二玄社 宮内庁蔵    祥香臨

芭蕉、「奥の細道」の「行く春や」に着目して和歌に見られる表現を考察しています。
今回は、「粘葉本和漢朗詠集」の三月尽の項から二句を取りあげます。

これは、大納言藤原公任(966−1041)が、日本の代表的な詩歌集「和漢朗詠集」を変遷したものです。粘葉本は藤原行成の筆と伝えられていますが、断定はし難いものの、書流
はいわゆる行成流に属していると思われます。

では、一行目から
読み下し文:「春を送るに舟車を動かすことを用ゐず、ただ残鶯と落花とに別る
                            菅原道真
現代語訳:春を送るのに、舟や車などの乗り物を動かす必要はありません。晩春の
     老鶯とゆく春の落花が春を送って行って姿をかくすのです。」*①

ここでは、行く春という言葉は出てこないものの、「送春」によってその意味を表して
います。注目することは、芭蕉が「行春や」と書いた時に、「行く春」と「く」を送りかなとして書いていない点です。

「和漢朗詠集」の漢詩でも当然ながら送らず、芭蕉の書き方は、漢詩的であると言えるのではないでしょうか。

また、最後から二行目の和歌ですが、
釈文:「花もみなちりぬるやどは ゆく春のふるさと〃こそなりぬべらなれ  貫之」*②

こちらは、「ゆくはる」を「ゆく者る」を書いています。ちなみに、「奈良・平安時代からイクと並存していますが、平安・鎌倉時代の漢文訓読ではほとんどユクを使い、イクの例は極めて稀」*③です。

芭蕉は、意図して「ゆく春や」を「行春」と書き、俳諧の描写を限定的にしているのではないでしょうか。
次回は、その辺りを探っていいきたいと思います。            

            出典: *①、②「和漢朗詠集」 川口文雄 講談社
                *③  「広辞苑」