西行の一品経和歌懐紙を臨書して(2)その澄んだ線は
2.西行の出家
西行は漂白の歌人として名高いが、かつては北面の武士として鳥羽上皇に仕えていた。北面の武士とは、白河上皇の院政時代に設置された院司の一つで、院の北面で警護に当たる。
しかし、保延六年(1140)23歳で出家した。藤原頼長の日記『台記』によると、道心による遁世であるというが、早くからの近親者の急死で無常を感じたためや、悲恋のためなどの説があった。
出家後は僧房に入らず、庵を結び旅を友として和歌を詠む暮らしとなる。歌合せなどで都の歌人と親しく付き合うことはせずに、藤原俊成など限られた人々とのみ交際した。
参考文献:日本大百科全書 久保田淳 小学館