翌春に資盛の悲報が(1)建礼門院右京大夫集から
1.いよいよ知らせが
作者は、ようやく手にした資盛からの手紙が最後のものだったことを翌春に知る
ことになります。
「叉の年の春ぞ、まことにこの世のほかに聞き果てにし。そのほどのことは、
ましてなにとかはいはむ。」
選字は、「又の年の春曽ま故と耳このよ能
ほ可二聞支者轉爾し處の本登
乃ことは万志弖何とか者い盤む」
大意は、「その翌年の春に、ついに資盛の悲報を聞いてしまいました。それを
耳にした時のことは、なんと言ったら良いでしょうか。」
鑑賞:「又の年」とは、安徳天皇治世の時代に「寿永」と呼んでいたが、京都側
では、後鳥羽天皇の御世で元暦と新たに定めていたことからこう言いま
した。
参考文献:建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社