とらわれの身となった重衡へ(1)建礼門院右京大夫集を書くとき

1.かつての重衡は

建礼門院右京大夫集 祥香書

かつて作者と親しく言葉を交わし、優しく接してくれた平重衡は都落ちし、一ノ谷の戦いで捕虜となり、都へ送られました。そののち鎌倉へ護送されました。都に重衡が、しばらくいた時のこと、

「重衡の三位中将の、憂き身になりて、都にしばしと聞えし頃、
『ことにことに、むかし近かりし人々の中にも」

選字は、「重衡の三位中将農うき身耳奈
     りて都爾し者志と聞え事頃こと二
     故と爾む可志ちか里し人々の中に毛」

大意は、重衡はかつて三位中将であったが、捕われの身となり、都にしばらくいるという噂があった頃、とりわけむかし親しかった人々の中でも。

重衡は清盛の名を受け、南都の焼き討ちをしたことから寺院勢力に恨みをかっていたのでしょう。

 参考文献:建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社