終わりのない無限の世界に遊ぶ者とは(5)荘子を書く

5.至人とは

荘子

 「故曰、至人無己、
  神人無功、聖人無名


読み下し文は、「故に曰く、至人は己がなく、神人は功なく、聖人は名なしと」

「至人」は最高至極の人物の意、神人は神秘的超越的な人物の意、聖人は自得通達の人の意で、いずれも理想的人格を指す。*①
唐の成玄英の疏では、「その形体からして至といい、その作用からして神といい、その名目からして聖というのでその実は同じである」とする。

王先謙『荘子集解』では、「待つ所なくして無窮に遊ぶ 方に是れ逍遙遊一篇の綱要なり。』

つまり、頼りとするところがなく、そのままで天地自然の理にまかせている者は、絶対自由な境地である。その人は、己がなく、功績を追わず、名誉を求めないのです。

人間社会の栄達や名誉といった、他からの評価を求めれば、どうしてもそれに囚われてしまいます。そこから離れることはできるのでしょうか。
 *出典:荘子 金谷治訳注 岩波書店