許由はなぜ隠棲したのか(1)荘子を草書で書く

1.堯帝が天下を譲ろうとして

荘子

 「堯譲天下於許由日、日月出
  矣、而(火爵*)火不息、其於光也不亦難乎


読み下し文は、「堯、天下を許由(きょゆう)に譲りて曰く、日月出づるに而も
火爵火息(や)まず、其の光に於けるや亦た難からずや。」

「堯」は儒家が理想とする聖天子

「許由」は中国古代伝説上の隠者。堯帝が位を譲ろうとしたのをことわり、箕山(キザン)に隠棲した。帝の譲位要請を汚らわしいことを聞いたとして、流れで耳を洗ったという。(高士伝)

これが「洗耳」として、俗世のけがれたことを聞いて洗い清める意となった。
日本では、「耳をすすぐ」を世俗の栄達を避けて閑居することのたとえとして使われる。

堯が、天下を許由に譲ってこういった。「太陽や月が出て明るいのに、まだ炬火(たいまつ)を消さずにいる。その明るさについて言うなら、なんと無駄なことではありませんか。」

 参考文献:荘子 金谷治訳注 岩波書店