「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(4)

4.西行歌「心なき・・・」の幽玄

山家心中集 伝西行  二玄社     祥香臨

宗房は、ことば遊びが特徴の「貞門風」から自由で軽妙な「談林風」へ移りましたが、ここからも離れ、自ら芭蕉庵と名付け、芭蕉と号します。そして、「風狂性」を特徴とする新たな俳諧を作り、蕉風俳諧が始まります。

ここでは、芭蕉が親しみを感じていたと思われる西行の和歌を読み、平安時代後期の
「幽玄」に着目します。一行目からみていきます。

釈文:  「あきものへまかりしみちにて
   心なきみにもあはれはしられけり
   しぎたつさわのあきのゆふぐれ」
                   新古今集 巻四 秋歌上三六二

歌意は、ものの情趣を感じることの少ない私にも、しみじみとした情感はわかるものだ。鴫の飛び立った沢の、秋の夕暮れの景色よ。

『鴫立つ沢の』以下は俊成の『御裳濯河歌合』で「心幽玄に姿および難し」と評された句です。「幽玄」とは、奥深く微妙で容易にはかり知ることのできないことです。
元来は、仏法が深遠ではかりしれないという意味でした。

平安後期以降、藤原俊成などによって神秘的で奥深い趣があり、静寂で縹緲(ひょうびょう)とした美しさを感じさせる余情のあり方を指し示す語となりました。*①

ここで、「幽玄」が本来の意味から離れて、独立した概念を形作っていく様子がわかります。そして、「余情」、「艶」や「あはれ」などの美が芸術に影響を与えていくのです。
 次回は、こうした中世文芸についてみていきましょう。


               *出典:和歌の解釈と鑑賞事典 井上宗雄他編