能因や西行への憧憬「奥の細道」(2)
2.能因島へ
芭蕉は能因島を訪れますが、その地に三年幽居したといわれる能因とは、いかなる人物だったのしょうか。能因法師は永延二年(988)生まれと推定され、藤原長能に師事し、和歌を学び奥州に二度行脚をしています。
これまでの和歌に飽き足らず、自己の生活に沈潜することで新しい歌を詠もうとしました。漢詩の分野で当時流行していた、実際に山荘や山寺に出かけ作詞する方法を和歌に導入しています。その頃の歌に
「山里の春の夕暮れ来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける」
そのままの情景が素朴に幽玄が詠みこまれた歌といわれています。
そして、次の歌によって西行法師や松尾芭蕉を始め、多くの文学者を奥州の地へと誘いました。
「都をば露とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
ただ、この歌には次のような説話が『袋草紙」(藤原清輔)に残されています。
「能因はこの歌を都で作り、白河の関で作ったことにしたいと考えて久しく籠居し、陽にあたって色を黒くして披露した」
なんとも愉快な話ですね。虚実を混ぜ込んだような和歌は、想像上の産物でもあります。
芭蕉にしても、「奥の細道」の執筆に際しては、実際の出来事かどうかよりも、紀行文として考えたのではないでしょうか。
参考文献:和歌の解釈と鑑賞事典 井上宗雄他編