「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(2)
2. 芭蕉の生い立ち
寛永二十一年(1644)伊賀国上野に生まれ、幼名は金作、長じて松尾忠右衛門宗房。
十三歳で父を亡くした宗房は、伊賀上野に支城があった藤堂新七郎良精に召抱えられます。近習役として仕えた、子息良忠は二歳年上で俳諧を好み、蝉吟と号していました。
主君は「貞門俳諧」が好み
このとき宗房の名で詠んだ句: 「月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿」
謡曲「鞍馬天狗」の詞章「奥は鞍馬の山道の花ぞしるべなる。こなたへ入らせ給へや」
を踏まえ、「旅」にと「給へ」を掛詞にして、宿の客引きの言葉を謡曲風に仕立てた
句である。*①
こうした俳言(俳諧に用いて和歌や連歌には用いない俗語・漢語の総称)のよる言葉の上のあそびを「貞門風」と呼びました。掛詞とは、同音異議を用いて、一つの語に二つ以上の意味を持たせたものです。和歌や連歌ではしばしばみられる修辞法です。
芭蕉にとって最初の師匠が蝉吟と号していたので、蝉の声を聞いたときに主君を思い出し、丁度、二十三回忌にあたることから追悼の句を詠んだといわれているのです。
さらに、宗房の人生は大きく変遷していくことになります。
*出典:① 墨 234号 伊藤善隆