逢瀬を重ねた思ひ出の地・北山は(1)建礼門院右京大夫集を書いて

1.北山のあたりは

建礼門院右京大夫集 祥香書

かつて資盛とともに訪れた北山の邸だが、今は人手にわたり見ることもかないません。でも、
そこが縁ある僧侶のものだと知った作者は再訪してみます。

釈文:「北山の辺によしあるところのありしを、はかなくなりし人の領ずる所にて、
    花の盛り、秋の野辺など見には、つねに通いしかば、」

選字は、「北山の邉によしあ流所農阿利志越盤可
     那久奈り四人農領する所耳て花の盛り
     あ支の野邉なと見爾八徒年二通ひしかは」

大意は、「都の北山の辺りには風情のあるところに、はかなく散った資盛の領地がありまし
     た。花の盛りや秋草の咲く野辺などを見によく通いました。

 参考文献:建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社