若き維盛の警固姿に(3)建礼門院右京大夫は

3.警固姿は凛々しくて

建礼門院右京大夫集  祥香書

さらに、もう一語「警固の姿」とは
賀茂祭の前々日の未の日から翌日まで、近衛府の中将以下が束帯または直衣に弓矢・剣を帯し冠に巻れいをつけた服装で警固にあたることです。

それでは、現代語訳を試みますと、

「頭中将実宗が、四月賀茂祭の頃、宮中の飛香舎に参られて世間話をしていたとき、平維盛殿が通られたのを呼び止めて、『近いうちに、どこかでのんびりと狩などをしようかと思うのだが、その時は必ずお誘いしましょう』と、

お約束をなさっていました。維盛はすぐにその場を立たれましたが、少し離れてお姿全体が見られるるあたりにお立ちになっていました。」*①

もともと維盛は武将として、お育ちになったのですから、警固のいでたちはよくお似合いになっていたのでしょう。直衣に弓矢というのも、品よく映ったことと思われます。
   
  *出典:①建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社