うっそうと木が繁る部屋から(1)建礼門院右京大夫集を書いて

1.気になる資盛のこと

祥香書

作者は隆信に心を許したものの、やはり気になるのは資盛のことだったようです。
11世紀末の白河上皇が院庁で政治を司るようになった頃から、熊野詣でが行われるようになりました。熊野は、熊野川流域と熊野灘をのぞむ地域で熊野三社といわれる、本宮・新宮・那智があります。

資盛の父重盛が治承三年三月に熊野詣をしたことが『山塊記』にあり、『平家物語』にも維盛などの公達がお供をしたとあるので資盛も同行したと思われます。*①

 「父おとどの御供に熊野へまゐると聞きしを、帰りてもしばし音なければ」

選字は、「父お登ヽの御供爾熊野へまゐる
     聞ヽしを可遍利て毛しは志
     音な介れ者」

意味は、資盛が父おとどのお供をして、熊野へ参詣に行ったと聞いたのに、帰ってきても何の便りがないので。

*出典:① 建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社