顔回は旅に出たいと願った(3)荘子を書く

3.民衆のつらい思い

荘子 祥香書

さらに、衛国の窮状を顔回は告げます。
 「以量乎澤若蕉民其尤如矣回嘗之夫
  子曰治國去亂國去之


現代語にすると、「衛の君主の行いで死ぬものが多くて数えきれないほどで、まるで沢の窪み一杯になるようで、民はつらい思いをしているそうです。私は以前、先生から『治まっている国なら立ち去り、乱れている国ならそこへいきなさい。とお聞きしました。」

「衛の君」:『釈文』では衛の霊公の子、荘公だという説があるが、顔回の年代から考えると出
      公ちょうのことであろうと述べています。*①
「量沢」:沢に量りとは死者が多くて沢の窪み一杯を単位として測るほどということ。

まさに乱れている国そのもののような衛の国に出かけようとしている顔回に師匠である孔子はどう答えるのでしょうか。
 *①出典:荘子 金谷治訳注 岩波書店