亡き方をしのぶ(3)建礼門院右京大夫集

3.京極殿の悲しみ

建礼門院右京大夫集 祥香書

夫が流罪になり、会うことも叶わなくなった京極殿の悲しみは想像するに難くないのです。

成親の大納言のとほき所へくだられにしのち、院の京極殿の御もとへ
選字は、「成親の大納言乃とほ支所へ
     久た羅連(に)し能ち院の京極
     殿乃御も登遍」

藤原成親は、治承元年鹿ヶ谷の謀議が露見し、平清盛に捕らえられ備前国に流されました。早くから後白河院の近臣として支え、平家一門とも縁組をし結びつきがありました。

院の京極殿は、後白河院京極局。藤原俊成の女で権大納言の北の方となられました。悲しみの京極殿をお慰めしようと、お歌を贈る場面です。

 参考文献:建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社