自分の存在を忘れる(5)荘子・物を斉しくする

5.自分の存在を忘れた

荘子 祥香書

先生、前のご様子とは違いますよ。という門人の問いに、大した問いだと答えた後で、
 「今者、吾喪我、汝
  知之乎汝聞人籟、而
  未聞地籟、汝聞地籟
  而未聞天籟夫


読み下し文は、「今者、吾は我を喪(わす)る。汝にこれを知るか。汝は人籟を聞くも、未だ地籟を聞かず、汝は地籟を聞くも、未だ天籟を聞かざるかなと。」

現代語にすると、今、私は自分の存在を忘れたのだ。お前にはそれがわかるかな。お前は人の吹く笛は聞いているとしても、まだ地の笛を聞いたことはないし、地の笛を聞いたとしても、まだ天の笛を聞いたことはないだろう。

ここで、「吾」と「我」の違いに注目したいと思います。「我」は「自我」「我執」などと用いられ、仏教では、自分のことに執着することを指します。それに対して「吾」の「口」は神のおつげの意味で、神のおつげをけがれから守るための器具から、ふせぐ。借りてわれの意味を表します。

「我れを喪る」とは、忘我の状態、万物と一体になった境地をいいます。

参考文献:荘子 金谷治 岩波書店