鎌倉にて道元が詠む(1)
1.尋ね入る
道元禅師が鎌倉で詠まれた歌です。そもそも、なぜ鎌倉へ道元は赴いたかというと、時の執権北条時頼の招聘でした。道元は四十四歳のとき、宇治から越前の志比庄、吉峰寺へ集
団で移住し、翌年大仏寺、のちに永平寺と改称しました。有力な後援者、波多野義重が鎌倉で永平寺建立の寄付を募ったため、寄進者に対する説法の意味合いもあったようです。
上記の歌は詞書が「父母所生身を詠ず」と付けられています。
「父母所生身、すなわち父母があって生まれたところの身とは、『我』のない身。この意をおしひろめて、道元の語彙では、悠久の昔から仏道に救済されている人たちの二滴を引いて現に生息する身が、『父母所生身』であり『父母所生の自己』なのである。」*①
人がこの身を私することが、迷いの始まりです。そこからだけ物を見て感じているかのように考えてしまうと、悩みにつながってしまいます。
*①出典:道元の和歌 松本章男