芭蕉の俳諧はどう展開したか(1)

1,「夏草や兵共が夢の跡」

芭蕉自筆  奥の細道  岩波書店   祥香臨

最後の行の「夏艸や兵共可 夢乃跡」
元禄二年高館での吟です。杜甫の春望の「國破山河在 城春草木深」の詩句を思い、栄枯盛衰の感懐を詠みました。有志達の功名も一時の夢となり夏草だけが生い繁っています。*①

前書きで、芭蕉は、奥州三代(藤原秀衡・泰衡・清衡)の栄華に触れ、栄枯盛衰の世を目の当たりにし今は草むらとなった跡に杜甫の春望を思い起こし、涙を落とすのです。

「旅先で歴史の有為転変を目にしたことによって、『万代不易』『天地流行』の二面から
俳諧の本質を捉えようとする『不易流行』説が発展していったことがわかる。」*②

変わるものと、変わらないものが同時に存在して矛盾がないことについて、深く考察する
きっかけとなったと思われます。

                 *出典:①かな墨場辭典  飯島春敬編
                     ②墨 234号   伊藤善隆