2024-11-17 / 最終更新日時 : 2024-11-18 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(10)集字聖教序より 10.舎利子よ釈文:「舎利子 色不異空 空不異色」 書き下し文は「舎利子よ 色は空に異ならず、空は色に異ならず」 鑑賞:「舎利子」は釈尊のお弟子の中で智慧第一といわれたシャーリプトラ、舎利仏尊者のことである。もとは波羅門 […]
2024-11-16 / 最終更新日時 : 2024-11-18 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(9)集字聖教序より 9.空次に「空」ということばである。全ての事物は縁によって成り立っており、永遠不変の固定した実体はないということである。 たとえば、ある人が自分の立場からものを見る。自分に都合の良いように振る舞えば、他の人もそうであろう […]
2024-11-15 / 最終更新日時 : 2024-11-15 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(8)集字聖教序より 8.五薀とは釈文:「照見五薀皆空 度一切苦厄」観自在菩薩が、般若の教えを体験せられた結果は、「五薀は皆(みな)空なりと照見せられて、一切の苦厄を度せられた」 すなわち、一切の苦がなくなって、この世の中は全て空であることが […]
2024-11-14 / 最終更新日時 : 2024-11-14 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(7)集字聖教序より 7.行とは釈文:「行深般若波羅蜜多時」 書き下し文は「深般若波羅蜜多を行ずる時」鑑賞:「行」行ずるとは特別な修行をすることではない。日々の行いをすることである。 今北宗温の『般若心経捷解』によると「行ノ義別二心ヲ用ヒテ行 […]
2024-11-13 / 最終更新日時 : 2024-11-13 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(6)集字聖教序より 6.観自在菩薩釈文「觀自在菩薩」 鑑賞:「觀自在菩薩」とは観世音、つまり観音様のことである。観音さまは自由自在に、世間の人々の心の声や気持ちを観察されて悩みや苦しみから救う仏であるので、玄奘三蔵は「觀自在」と漢訳しておら […]
2024-11-12 / 最終更新日時 : 2024-11-12 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(5)集字聖教序より 5.経とはタイトルの最後の字「経」は梵語スートラを翻訳したもので、変わることのない法をいう。 道元は「仏経」について「いわゆる経巻は、尽十方界これなり。経巻にあらざる時処なし。」(『正法眼蔵』仏経巻)経巻にはこの世に存在 […]
2024-11-11 / 最終更新日時 : 2024-11-11 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(4)集字聖教序より 4.心とは最後の「心経」は漢語である。般若波羅蜜多が仏の教えの中で肝心要なものであるから「心」といった。 心といって、名をつけると何か実体があるかのように錯覚するのが常である。心というものは本来ないものであるが、「見」に […]
2024-11-10 / 最終更新日時 : 2024-11-13 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(3)集字聖教序より 3.波羅蜜多ということは 般若と同じく、梵語の音をそのまま写したもので、原語はパーラミターという。これと訳すと「到彼岸」となる。 煩悩に縛られて迷っている人の世界を「此の岸」といい、仏の世界、悟りの境地を「彼の岸」と呼ぶ […]
2024-11-09 / 最終更新日時 : 2024-11-10 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(2)集字聖教序より 2.般若とは「般若波羅蜜多心経」というタイトルの「般若」から始めることにしよう。 鑑賞:「般若」は怖い顔をした「般若の面」を思い浮かべ方もいるだろう。元来、この言葉はインドの語を音に写したもので、サンスクリット語で言えば […]
2024-11-08 / 最終更新日時 : 2024-11-09 タオ 禅と書のつながり 行書般若心経(1)集字聖教序より 1.聖教序の心経釈文:「般若波羅蜜多心経 沙門玄奘奉 詔譯」 書き下し文は「般若波羅蜜多心経 沙門玄奘 詔を奉じて訳す。」 鑑賞:現在、聖教序の碑は西安碑林に並べ置かれているが、元々は唐の高宗(672年)に長安の弘福寺内 […]