芭蕉自筆、奥の細道を読み書こう(5)
5.そして半紙に書いてみた
芭蕉の「俳諧」への考えは、「笈の小文」のはじめにあります。
「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、
其貫道する物は一なり。」
「俳諧」は現在の「俳句」と異なり、「連句」を楽しむことが主流でした。「連句」とは、「連歌」と同様に「長句」(五七五の句)と「短句」(七七の句)を交互につけて
ゆく文芸です。*①
芭蕉は「俳諧」を改革し、新しい文芸を確立するべく求道していたと思われます。先達の
成したことに想いを馳せているのでしょう。
そして、「行春や鳥啼魚の目は泪」を変体かなを取り混ぜながら書くと上記のようです。
ゆく春や
鳥啼うをの免盤
な美多
芭蕉の句を
「行春」は漢字で始まるのが一行目から重いと感じましたので、かなで「ゆく」とし、
「春」は季節を表すのでそのままにしました。ポイントは「鳥啼」の「啼」の漢字です。
思いっきり良く伸ばします。そして、三行目の「美」を大きくしています。
出典:*① 伊藤善隆 「墨」234号