逢坂の関を越えて(2)建礼門院右京大夫集を書いて
2.隆信との逢瀬
悔やんでも悔やみきれないけれど、隆信の誘いを断りくれなくなり、「逢坂」の関を越えた作者が、隆信との恋を回想します。
「車おこせつつ、人のものへ行きなどせしに、『主つよく定まるべし』など聞きし頃、なれ塗る枕に、硯の見えしをひきよせて、書きつくる。」
選字は、「車おこ勢つヽ人のもとへ行支なとせ
し爾ぬ志川よ久佐多まる遍し
なときヽしこ路な連ぬる枕爾硯
乃見え事を比支夜せ弖可きつ久る」
大意は、隆信から建礼門院右京大夫の元へ車が迎えにきて、彼の家へ伺っておりましたが、「正妻がはっきりと定まるでしょう。」と耳にした頃に、慣れ親しんだ枕に、近く硯があったのをこちらに寄せて、枕紙に書きましたのが、
「主」とは、正妻のことで恋多き男性の隆信もまだ独身だったわけです。
元々能書家の父を持つ建礼門院右京大夫は、ご自身も書をよくされたとみえます。さらさらと真kら紙にしたためたのでしょう。九州大学付属図書館細川文庫本によると、詞書は和歌より二文字下がったところに書かれていることに拠って下げています。
参考文献:建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社