行書般若心経(6)集字聖教序より
6.観自在菩薩
釈文「觀自在菩薩」
鑑賞:「觀自在菩薩」とは観世音、つまり観音様のことである。観音さまは自由自在に、世間の人々の心の声や気持ちを観察されて悩みや苦しみから救う仏であるので、玄奘三蔵は「觀自在」と漢訳しておられる。観するとは、「心の眼でものを見る」ことである。
曹洞宗の天桂禅師は『般若心経』を注釈された書物の中で「觀自在とは異人にあらず、汝、諸人是れなり。何をか觀自在といふ。眼を開けば森羅万象ありありと現はれ、耳に通ずることは無量の音声間断なし。」
観音さまは自らのことで、本来自由なのである。それを自分でがんじがらめに縛っているために、本来の自己を見失っているにすぎない。
参考文献:般若心経講和 鎌田茂雄著 講談社学術文庫