雄大で勢いのよい仮名の古筆(2)今城切を臨書して

2.藤原教長とは

今城切 藤原教長筆 祥香臨

筆者は藤原教長(1109-)、平安末期の歌人で能書家。父は正二位大納言藤原
忠教、母は、源俊明の女。崇徳院近臣歌人だったが、保元の乱によって常陸
国に流され出家して観蓮(かんれん)と号しました。

その後許されて、高野山に隠棲しました。能書家として他に、二荒山本『後撰
和歌集』、『源氏物語絵巻』の竹河・橋姫の段(国宝・徳川美術館)の詞書等
があります。

また、教長は入木道の書『才葉抄』があり、藤原忠教を祖とする法性寺流の
能書として知られます。法性寺流は、平安末期に摂政・関白にあった忠通が
晩年に京都白河の法性寺境内に住んだことから法性寺殿と呼ばれたことに、
由来します。

忠通は当時主流だった藤原行成らの和様書道に加え、新興の武家文化の影響も
あり、雄大な粘りのある書をよくしました。この書風は、時代の転換期にあっ
て大きな流行となります。

その後は、孫の良経(1169−1206)の京極流、その子の教家(1194−
1255)の弘誓院流の名で継承されていきます。
 参考文献:日本大百科全書他