七夕の空を眺めて(4)建礼門院右京大夫集を書いて
4.どっちつかずの我が身は
隆信の真意を確かめようと、転居を決意するが、心中には資盛に思いが残る作者は、
どっちつかずの気持ちで、兄の近くへ引っ越すことにしました。
「西山なる所に住みし頃、身のいとまなさにことづけてや、ひさしく音もせず。」
選字は、「西山奈る所二住み四ころ身のいとまなさ爾
ことつ希てや日佐し久音もせ須」
鑑賞:「西山」とは、京都市西郊を南北に走る連山。嵐山、愛宕山などを含み、南端
は山崎の天王山となって淀川岸に至ります。
作者の兄、尊円は新勅撰集に歌を載せた歌人ですが、『勅選作者部類』によれ
ば藤原俊成の子であり、母夕霧の前夫が俊成であっと見る説もあります。また、
『尊卑分脈』には世尊寺伊行の子とあります。
延暦寺僧として西山にいたと思われる兄を頼って、作者が転居したのです。
その頃、いろいろと身辺が忙しかったのか連絡も寄越さずにいた資盛のことを
歌に詠みます。
参考文献:建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社