気持ちを軽く(3)リラックスして書く

3.日下部鳴鶴の筆法
王羲之書法は、四世紀後半頃にはすでに完成され、日本へは漢字とともに『千字文』などが伝来しました。初めからこの書法を受け入れた日本では、空海が唐で顔真卿を学ぶなどの例外を除いて、中国の正峰はあまり知られることがありませんでした。

平安時代のかなや江戸時代の御家流も王羲之に由来し、親しんできました。
ところが、明治維新によって、新政府は御家流を排して唐様を公用としたのです。日下部鳴鶴は来日した楊守敬に北碑の書法を習い、筆を立て、懸腕・廻腕法で執筆をしました。*①

今も残る写真を拝見しても、少し窮屈そうな運筆にも思えますが、手や腕だけでなく体全体で書く方法でした。鳴鶴に師事していた比田井天来も不自由さを感じた一人だったようです。

出典:*①「書」を考える 松村茂樹 二玄社