「月よみの光を・・」良寛の和歌(5)
5. 内面の芸術
良寛の歌論の独自性は、内面の芸術について述べていることです。
「猶もいわば心の動かざる時は歌なり。うたわざる時はうたなり。歌を知らずして、よそごとにのみこれをうたと思いもてゆく時はうたなり。うたはうたのうたなり。うたにあらざるは歌にあらざるの歌なり。」*①
良寛の歌論の真価はここにあり、これまでの歌人が論及しえなかった新しい見解です。
その基盤となるものは、禅の思想であると考えられます。
宋時代の厳羽は『滄浪詩話』の中で「詩を論ずるは禅を論ずるが如し」といっています。
そして、「禅道は惟れ妙悟に在り、詩道もまた妙悟に在り」と述べています。
また、『正法眼蔵』弁道話の中で、道元禅師は
「空をうちてひびきをなすこと、しもとの前後に妙声綿綿たるものなり。」
空とは洞山禅師のいう如く鐘のことです。鐘が鳴るのは、撞木が鐘にあたった時に鳴りま
す。我々は種目の当たった時だけ鳴ると思っています。しかし、鳴る素質は、撞木のあたらぬ前からあるのです。*②
良寛の述べる歌論において、うたの本来の姿は、歌う時も歌わざる時もうたであるといい人が本来、有している仏性と相通ずるものがあるということです。
*出典:①、② 良寛歌集 渡辺秀英 木耳社