「蝉の聲」にみる芭蕉俳諧の歩み(1)
1.閑さや岩にしみいる蝉の聲
当初、予定になかった立石寺の参詣は、尾花沢の俳人鈴木清風たちの勧めで実現しました。宝珠山立石寺は、貞観二年(860)清和天皇の勅願により慈覚大師(円仁の諡号)が開山した天台宗の古刹です。清和天皇は、在位858〜876で、仏道に帰依していました。
急峻な山寺の奇岩におおわれた当地の様に、感銘を受けていることがわかります。岩を這って仏堂を拝み、景色が良く、もの寂しくひっそりとしていて、心が澄んでゆくのがわかると書いています。
「山形領に立石寺と云山寺有
慈覚大師の開基にして、殊清閑の
地也。一見すべきよし、人々のすすむるに
仍て、尾花沢より、とつて返し其間
七里計也。日、いまだ暮ず。麓の
坊に宿かり置て、山上の堂に登ル。
岩に巌を重て山とし、松栢年ふり、
土石老て、苔なめらかに、岩上の院々
扉を閉て、物の音きこへず。岸をめぐり、
岩を這て、仏閣を拝し、佳景、寂寞
として、こころすみ行のみ覚ゆ。
閑かさや岩にしみ入る蝉の聲」*①
この句は、芭蕉が仕えた藤堂藩(伊賀)の主君で俳諧の師、藤堂良忠への追悼句であると
いわれています。*②
芭蕉が「奥の細道」を記し、俳諧の「風流の誠」に至った経緯をみていきたいと思います。次回、芭蕉の生い立ちから、さかのぼっていきましょう。
*出典:① 芭蕉自筆 奥の細道 岩波書店
②奥の細道 旅のガイド 木村利行