芭蕉の俳諧はどう展開したか(4)

4 芭蕉の風流とは
風流を芭蕉はどのようにとらえていたか、を考えます。
旅先での体験が、杜甫の「春望」を思い起こさせ、「不易流行」の説にいったことがわかってきました。そして、「不易流行」は「風流」にどのようにつながるのでしょうか。

風流とは「『いき』の構造」の中で九鬼周造は、三点あり「第一に離俗 第二に耽美、
第三に自然と述べています。離俗とは、「心を正して俗を離るる他はなし」(自讃之論)

耽美について、「美」というような体験価値はその卓越性において絶対的なものと考えて
差支えないものであるが、他面また個人や時代によって相対化が行われることも必然である。その点に『不易』と『流行』の二重性が根差している。」*①

つまり、風流を構成する一つである「美」は「不易」と「流行」を内包しているわけです。それは「美」が本来持っている性質であるとも言えます。世につれ変わるものと、普遍的なものはその先端においてせめぎ合うものでしょう。

そして第三に自然をあげて、「風流の創造する芸術は自然に対してきわめて密接の関係にある。」*①とし、芭蕉の句を二句引用するのです。

『風流のはじめやおくの田植歌』
『風流のまことを啼くや時鳥』

このように、芭蕉は「不易流行」の考えから「風流の誠」に至ったと思われます。

           * 出典:① 「いき」の構造 九鬼周造 岩波書店