隆房の中納言へ心置きなく歌を(4)建礼門院右京大夫集を書いて

4.父君を亡くされて

釈文:「大宮の入道内大臣うせられたりし頃、公経の中納言かき籠りて、五節などにもまゐられざりしに白薄様の、いろいろの櫛を書きたるに書きて、人のつかはししにかはりて」

選字は「大宮の入道内大臣雨勢られ堂り志頃公経 の中納言か支籠利て五節奈とに毛まゐら連 散りし二白薄様のいろヽヽ農櫛を書記多 類爾可きて人農徒可盤志ヽ二か者利弖」

鑑賞:「大宮の入道内大臣」は西園寺実宗のこと。元久二年内大臣となり建永元年辞任し、出家した。坊城または大宮の入道内大臣と呼ばれた。琵琶の名手。『千載集』および『新古今集』に入集。

「公経」は西園寺実宗の次男。牛舎に巴の紋様をつけたことから「巴の大将」と呼ばれた。父同様、琵琶にすぐれ、和歌を好み『新古今集』『新勅撰集』他に入集。

参考文献:建礼門院右京大夫集 糸賀きみ江校注 新潮社