道元の自然とは、和歌から(4)

4.誰が悟ったのか?

再び、道元禅師の和歌をみましょう。
「峰のいろ」は「山色」につながります。
「谷のひびき」は「谿声」と重なります。
「わが釈迦牟尼」は「八万四千偈」に通じるものがあります。

全てがありのままに現前している自然があります。それが「峰のいろ」であり、「谷のひびき」ですが、気づかなければ見逃してしまうものです。

道元禅師は語ります。東坡居士が悟りえたのは、さきに常総禅師から無常説法を聞いてからでした。その話が機縁となり、谿声を聞くにあたって、常総禅師のことばと混じりあっていたのではないだろうか。

結局は、居士が悟ったのか、山水が悟ったのか、誰がいえるだろうか、と。*①

山があるといって、他のところにあるのではなく、谿の聲がどこか、今この時と異なることではないのです。そのことが、はっきりするときを時節と呼ぶのです。

                 *出典:正法眼蔵  増谷文雄